はじめまして!
僕は高知県幡多郡三原村にて事業をしております、Flag Connection代表の梶原タイシと申します。
主に
【WEB制作事業】
【アウトドア事業】
【人材派遣事業】
をしており、主に地元高知県西部地域、幡多郡の方々に向けて事業展開をしています。
当ブログではそんな僕の活動について主にWEB制作の重要性や方法についてお伝えするほか、どのような経緯で自営業へと至ったかについて本ページで詳しくお伝えし、一人でも多くの人に僕の思いが伝わればいいなと思って作りました。
少々長いですが最後まで読んでいただけるとうれしいです。
地元の田舎で介護士の道に
まずは僕の簡単なプロフィールからご紹介いたします。
生年月日:1984年6月6日生まれ。
出身地:高知県宿毛市片島
血液型:O型
好きなもの:ゲーム、アニメ、漫画、キャンプ
幼い頃より高知県西部地域、宿毛市片島の港町で育ち、小中学校も地元の学校を卒業。
もともと男三兄弟の末っ子として、ある程度自由奔放に育ってきました。
地元の環境から田舎ということもあって外で遊ぶ子供たちも多かったのですが、実家が貧乏ということもあってゲームなどは当時から買うことが難しく、兄のお下がりのもので遊んでいることが多い子どもでした。
当然同級生とも話題が合わないことも多く、内気なところもあってか友達付き合いをどうとったらいいかわからない…そんな子供時代を過ごしていたように思います。
そんな子供時代を経て隣街の中村高校に進学。
前述したように当時から友達付き合いの下手さから、軽いいじめも受けていたのを今でも覚えています。
それでもなんとか耐えていたのは、当時から「アニメや漫画の空想のものを題材にした仕事がしたい」という夢があったからでした。
しかし、それも子供だからできた夢で、高校生にもなるとそういった空想のものを「オタク」としていじられることも少なくなく、当時からバカにされるものでした。
僕自身もそういった周りの声に負けたようなもので、自信がもてず引っ込み思案。
何かしら変わるチャンスを伺いながらも、行動しないようなところがありました。
そうこうしているうちに高校3年生の頃。
夢も諦めて何になりたいかの目標がなく、見かねた両親から介護の専門学校への進学を進められそのまま進学。
目標もなくだらだらしておりました。
そんな僕も専門学校を卒業して、高知県四万十市の中村病院というところに就職。
当時自分のお金で稼いだもので好きなものを買えるということに、とてもわくわくしていたので、働くことに「喜び」を感じていたものでした。
その頃はまだいろんな負担や責任を感じづらい年頃ということもあって(実家暮らしということも重なって)好きなことをやって過ごす青年でした。
しかし転機が訪れたのが就職してから2年目くらいのときだったのです。
介護士の仕事への苦悩
仕事をして2年目くらいには仕事を覚えて順調に過ごしていると思っていましたが、もともと内気で友人を作りづらいところがあったことが災いし、職場仲間ともうまく人間関係を作ることができませんでした。
この頃から職場内でのいじめにあうこともあり、例えば雑用をただただ押し付けられて一人では到底終わらないことも「遅い!」と言われ叱られることや、仕事の段取りなどを聞いたり質問に対しての無視は日常茶飯事。
最終的には仕事の指示さえ伝えることがないこともありました。
今思えばそんな大したことではないのですが、当時はひたすら苦しかったように思います。
僕もそんな状況に納得できるはずもなくひたすら耐えていましたが、さすがに1年近く続くと僕の中でも
「これはだめだ!」
と現状を変えたい欲求が出てきました。
そこで思ったのが「なんとかしなきゃ!」という強い思い。
そこで始めたのが「勉強」でした。
【自分が変わらなきゃ周りは変わらない】
という思いから、仕事で見返すことを決意したのです。
最初はまったくうまくいかなかったのですが仕事について知識や技術を覚え、理論や説明ができていない先輩方にも自分から食って掛かっていくようにしたのです。
最初こそ相手にされませんでしたが、仕事はきっちりやろうと決めて取り組んでいましたし、僕自身も意思を変えることをせずに芯をもって対応していたのです。
そうしたことからだんだんと周りも変わっていき、僕自身を認めてくれる人が増えていきました。
まさに【自分が変わらなきゃ周りは変わらない】を実現した瞬間だったのです。
その成果は出世にも響くことになります。
就職してから7年たった頃、介護部門の長に任命されました。
前述した「自分の芯を曲げず、正しい知識や技術を教えて実践する姿勢」が評価された瞬間でした。
更に介護の職能団体である、介護福祉士会の高知県西部地域の理事にも任命されることに。
翌年には介護福祉士を目指す人たちを講義する、いわゆる「講師業」にも従事することになります。
そうしたキャリアアップを順調に進めており、仕事自体にやりがいを感じていたのです。
しかしながら、順調な仕事とは裏腹にプライベートでは父親が脳梗塞で倒れてしまい、非常に大変な状況でした。
倒れた当初はまだなんとか自力で動けて介護も必要としなかったくらいでしたが、だんだんと状況が悪化することになります。
僕が32歳になったくらいのこと。
父親は25歳の頃に脳梗塞を患い倒れて7年経過していました。
その後だんだんと認知症の症状が出始め、自宅での見守りが必要となってきていたのです。
そして仕事自体にも知識や技量も足りていなかったのですが、何より人との関わり方が内気なことや正確に物事を伝えづらいことが災いし、失敗が多くでてきていたのです。
そうしたストレスを抱えていたある日、講義中や仕事中に人前に出ると頭が真っ白になりパニックになってしまったのです。
同僚からも心配され、病院に受診すると「パニック障害」と診断されました。
どうやら、仕事と家庭でのストレスから逃げ場がなく、頭や感情が現状を処理しきれていないのが原因だそうです。
僕自身、大変ショックでした。
幸い症状は軽いものでしたので仕事はなんとかできていましたが、介護部門の長や理事、講師業は辞退することにしました。
もう人前で何か行うのは難しいと判断したからです。
介護士を続けていく苦悩
パニック障害と診断されてから数年、すごく悩み続けました。
この頃には新たな資格を取って仕事の幅を広げようと模索してましたが、介護の仕事はニュースにもなるくらい低賃金。
現実問題として両親の介護を将来的にしながら、また自分が生きていく上で望む形にたどり着けない未来しか見えなかったのです。
「同年代はもっと稼いでいるのに…」
そう羨むことが少なくありませんでした。
現状を変えるための知識や覚悟がなかったのです。
そこで少しでも状況を変えようと、職場を変更。
介護業界ではありましたが、地元高知県宿毛市にある施設への就職を決めたのです。
今度はこの場所で再起を図ろうと。
しかし現実は甘くはありません。
介護の仕事自体、知識や技術を身に着けていたため自信がありましたが、介護業界に対して出世欲も以前より少なくなり、仕事自体に身が入りません。
むしろ、悪くなる一方でした。
自宅に帰ってもゲームやアニメなど、引きこもるような毎日。
この状況があとどのくらい続くのだろうと、打ち込めるものが何も無い空虚な時間が過ぎていったのです。
しかし35歳になったころ、ある転機が訪れることになります。
「キャンプに行ってみたくない?」
ある日数少ない友人の何気ない一言を聞き、普段は聞き逃すか気が乗らないと流すのですが、ふとやってみたくなったのです。
理由は今考えてもわかりません。もしかしたらただただ気分転換をしたかっただけだったのかもしれません。
けれども現状引きこもりのようにゲームやアニメばかり。
違う刺激が得られるかもしれないとワクワクしてAmazonでキャンプ道具を買い漁り、気がついたら30万もの買い物をしていたのです。
こうして知人たちと初めてのキャンプを行いましたが…
結果としては「面白かった!」の一言。
初めての料理は失敗したし、寒い時期のキャンプだったので震えながら寝袋で寝たのに、めちゃくちゃ楽しかった。
今思えば、失敗することや新しいことを覚えることが、何よりも楽しく刺激的なことだったのかもしれません。
そうこうしていると職場の後輩から、「キャンプ仲間を探している人がいる」
ということでその人とキャンプをするという、知らず知らずにキャンプを中心に周りが変化していったのです。
まさに
【自分が変わらなきゃ周りは変わらない】
仕事では関係ないことで、人間関係の輪にも変化が訪れた瞬間だったのです。
なにより後輩から紹介された人物こそが、その後自営業への道へと進む大きな一歩になるのです。
地元のド田舎で起業
後輩から紹介された人物。
実際に会ってみると同級生つながりで20代前半の頃に3回ほど会ったことがある「菊田慎也さん」でした。
僕も最初こそ初めての人に出会うと思っていましたが、まさか知っている人とは思いもしませんでした。
しかも彼は地元で起業コンサルなどをしている方で、キャンプ中にいろんな話を聞くことができました。
自営業についてのことやお金の流れ、考え方や人生観などなど…
そうした会話の中で、僕は自分の悩みも打ち明けることにしたのです。
仕事のことや両親のこと、自分がうまく人付き合いができないことで人間関係がうまくいかないことなど…
その話の中で仕事についての話をしているときに「じゃあ、起業したらどう?」
という提案を受けました。
僕にとって全く想定していない道でした。
起業なんて思いもしなかったのです。
けれどもその言葉を受けて現状をいろいろ考えれば考えるほど、起業をした方が将来介護をしている両親のこと、余計な人間関係に悩まずにすむこと、何より自分がやりたいことを仕事にすることで、やりがいが感じられると思ったのです。
10代の頃にやりたいと思ったことを自分から押し殺し、それでも社会人になってから【自分が変わらないと周りは変わらない】
を実感していたことから、この話はすごく魅力的に感じたのです。
そこからの行動はとてもはやいものでした。
すぐ菊田さんが行っている起業塾「菊田塾」に入り、商売の基本や考え方を学びました。
同時進行で職場を辞め、僕にいろんな変化を持たせてくれた「キャンプ」を主体とした事業を始めることを決意したのです。
当然最初は何もありません。
資金0。知識0。技術0。けれども意欲100。
そんな状態でした。
それでもやりたい!そう考えたから行動したのです。
そこで職場の後輩「浜町しんじ」も誘って一緒に起業することにし、一緒になって事業を行うために三原村へと移住。
自営を始めるに当たって、キャンプを通して自分の人生観や地元「高知県幡多郡」の魅力に気づかせてくれたことから、またいろんな縁やつながりができるんじゃないか。
そういった理由から「Flag Connection」という屋号を立てることにきめたのです。
両親のことも気がかりでしたが兄夫婦の助力によって、人生で初めて自分の夢を追う決心をしたのです。
当初キャンプについて何も知らなかったのでひたすらキャンプをして学んだり、活動資金もなかったので浜町の貯金から出してもらうなど、決して順調ではないスタートでした。
時にはバイトをしたり時にはアフィリエイトをしたりしながら、独自のメディアとしてキャンプ系Youtuber『はた☆キャンプ』を立ち上げて動画撮影と編集をしたり、なれないながらもホームページを作ったりしたのです。
そうして初めてのFlag Connectionの商品として「キャンプアドバイザー」を作りました。ジャンルとしては「アウトドア事業」になります。
最初は無料体験を企画して宣伝してみると…
客数0!
うまくいきません。
菊田さんから、知り合いを呼んでまずは宣伝の手助けをしてもらえということも言われ実践みますが、反応はいまいち…
悶絶するくらいくやしい日々でした。
そこでキャンプの書籍を作成して出版することにしました。
もちろん、自分の経験を元にしたキャンプ技術の本です。
こちらも僕の書籍は売れず、浜町のキャンプ料理が売れるという結果に…
ここでも僕は悶絶するくらい悔しい思いをしたものです。
それでもコツコツともう一冊書籍を作ろうと決心し、少しづつ執筆を進めていたのです。
そんな大きな成果が得られないまま1年が過ぎ、2年目からは地元の高齢者や人手不足の農家さんに向けて「便利屋」を開始。ジャンルとしては「人材派遣事業」になります。
キャンプとは違いますが、地元の事業者とのつながりも欲しいためにチラシを作って新聞の折込にはさみ、宣伝開始。
すると、1件、2件とお客様から依頼されることも多くなってきました。
便利屋では「草刈り」「墓掃除」「農作業などの雑務」が仕事内容の主なものになりますが、まさにそれらの人手不足を解消することができたのです。
お客様とのつながりができて嬉しい反面、僕としてはこの頃には30代後半にもなったことと、もっと大きな収益も目指すためにもメディアでの収益を上げたいという望みがありました。
そこで始めたのが「ホームページ制作」。ジャンルとしては「WEB制作事業」になります。
メディアを作った経験と知識を元に、事業開始3年目からは本格的に動くことにしました。
InstagramなどのSNSを活用して、何人かのお客様も作ることに成功。
営業自体もまだまだ勉強の途中。
つたないながらも誠意をもって対応していったところ、ホームページ運営管理をしているお客様から
「あなたのホームページを利用してから収益が過去1番の収益になった!ありがとう!」
と喜びの声を聞かせていただいたのです。
涙が出るほど、うれしかったです。
初めて一人の自営業者、Flag Connectionと僕自身が認められたと感じた瞬間でした。
起業してそれから…
現在もトップにも書きましたが、
・WEB制作事業ーホームページ制作管理、動画編集
・アウトドア事業ーキャンプアドバイザー、書籍販売、案件紹介
・人材派遣事業ー便利屋、薪販売
という事業を展開しております。
高知県西部地域幡多郡に生まれ、地元のことすらもあまりよくわかっていませんでした。
しかしキャンプを通じて、地元がこんなにも過ごしやすくてどこでもキャンプができる天国のような場所であること。
地元の人たちも温かく、自営業者として便利屋やホームページのことで関わることで、仕事への熱意や現状をなんとかしたいと考えていることが伝わります。
僕自身も過去【自分が変われば周りが変わる】という経験をしています。
本当に自分が自営の道へ変化したことによって変化したのです。
さらに、僕たちのサービスであるホームページ制作管理を導入したお客様も、導入しようと決心して変えようとしたからこそ、変化が起こったのです。
僕らのサービスを利用することで、良い【変化】につなげたい!
そういった思いで今現在も活動を続けております。
この記事から僕のことを知り、今後も応援していただけるとうれしいですし、サービスを利用していただけると何よりだと考えております。
今後も高知県西部地域、幡多郡を中心に活動をしていきますので、どうかよろしくお願いします。
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